暑い暑いと思っていたのに、時々風が涼しくなったりし、もう夏は終わりだろうかと家人に言ってみたりしていたうちに木の葉の色が変わり始めて、実に美しい紅葉の景色となった。暑い時期には夜の9時半でも空は明るく、残業を終えて帰宅しても家族をドライブに連れていくことができるほど時間がたくさんあったような気がしていたが、秋にもなると日が短くなり、今では午後5時ごろには暗くなってしまう。雪の降る日が出てくるようになった。今年の初めに日本から三か月ほど出張で来られていた方が私に挨拶のメールをくれたので、ここミシガンは日中でももう摂氏で一桁気温になりましたなどと綴っていたのは先月のことであったはずだったが、今では日中でも摂氏でマイナスの気温にまでなってとにかく寒い。今年は去年より寒くなるタイミングが早いような気がする。そういえば夏も短かく、職場の誰かが今年は冷夏であったと言っていたのを思い出す。Thanksgiving休暇の前日は、朝から休みモードであるような雰囲気であった。休みを取っている人もいれば、午後2時ごろを回ったあたりで帰路につく人らが出てき、3時になるとお前は帰らないのかと私に言う人も出てきたと思っていたら、同僚の一人はいいから帰れ帰れ、あと10分で帰るとか戯言(ざれごと)は言わず帰ることだ、明日はThanksgivingだと私をけしかける。まだ明るい時間帯に帰宅の途に就いたのであったが、道路はどこもかしこも混んでいた。図書館によって本とCDを借りて帰宅し、家族を連れて数件の食料品屋に出かけた。店はいつもより混んでいた。落ち着いてCATIAに関する一般的な情報整理と勉強をしようかなと思ったりした。ネットでもForumという形で情報交換は行われていることでもある。そういえば自分がCATIAの仕事を始める前、日本語のサイトに数度立ち寄って情報収集してみたことがあって、面白いことに、そこで活発に投稿されていた方と日本の埼玉県のR&Dに隣同士で三か月間だけだったけれども、仕事したことがあった。そこで三か月だけお世話になって、自分はミシガンに引っ越したのだった。ともあれ、その日本の職場で隣に座っていた、活発に投稿されていた方から自分は、CATIAの仕事を開始する少し前のことだったけれど、ネット上で頭からけなされたのは強烈に覚えており、しかし実際に会ってみると、PC上で見られるような攻撃的な口調の人でもなく、立場的にも影響力のある方でもなかった。逆にキャリアの少ない自分のほうが知っている部分が結構あって、私は経験もさほど多くなく、物分りも人と比べてそれほど良くないのをいつも気にかけていただけに、経験年数の多いこの方の実際の姿を見て、正直ずいぶん安心したのを思い出す。とはいえこの日本語サイトのほうはあまり自分向きではなかったので、自分は英語Forumに傾くようになった。英語版に投稿していた一人と偶然今同じ職場で仕事をしているというのも不思議な話だ。
ネットのForum一つとっても、日本語と英語ではコミュニケーションの仕方、基本姿勢が異なる。日本人は基本的処理能力は比較的高い場合が多いが、始めから頭ごなしでコミュニケーションが殺伐してしまうか、成立しない場合が普通に見かけられる。興味深いのは、北米では普通に質問し普通に処理されるやりとりが、日本の場合だと相手を容易に怒らせてしまう場合がしばしばある。頭を下げる側と威張る側に区分されるか、同等であれば問題をはっきりさせず適当に済ましていくか、という傾向があり、コミュニケーションそのものよりは態度や言葉遣いに重点が置かれる。質問や意見の行ったり来たりをするディベートをするといった土壌がない。確かに日本の電車でもどこでも、公共の場所に行くと人々は「ここに座ってもいいですか」「横に詰めてもらえますか?どうもありがとうございます」といった一声かけるというものがない。声を発するときはキレた時、という風習なので言葉のやり取りは感情的な波風を起こしがちであり、それに反して、普段から海外、グローバル、英会話という言葉を非常によく言い回ることで隠れ蓑のような目くらましのような効果を生むことに一役買っており、これを一面的に見たら良くなさそうにみえるけれど、決して悪いことばかりではない、と私は思う。そのような気質こそが製品、商品といった物質に対する高品質に結びついているのだし、そこに口をはさむ余地はない、私は思う。変な書き方をしているとは思うけれど、それも自分が永い間にわたってそういったことについて意識的なだけで、個人的な趣向で片付く話ではある。ところで、アメリカと日本を比べるときに思い起こされるのは太平洋戦争の際の作戦等にかんする書物で、非常に勉強になる。戦争とか世界大戦とか、銃を持ち、人を殺し、血を流す破壊行為が、一般的なビジネスを連想させるあたり、変な話であるような、そうでもないような気分になりながら、こうしてThanksgivingの朝を迎え、家人たちがねむっている間にここでつれづれなるままに書き綴ってみたのであった。