Sep 30, 2010

[Engrishを理解し、Englishで伝える]

【1.人の死に対して「アニバーサリー」とはケシカラン!】
以前「10周忌」という言葉を英訳したときのこと。"10th anniversary"と私は翻訳したのでしたが、すかさず日本人側からクレームじみた指摘がありました。「『アニバーサリー』は違うでしょう…。人の死について『anniversary』っておかしくないか??」というのです。

私は十代の頃から日英の通訳や翻訳(大それたものではありませんが)をしていて、日本人共通の誤った英語観のことは知っていましたので、「それ、また来たぞ」と思いました。

日本人が「アニバーサリー」と聞くと、それは結婚記念日とか恋人同士の記念日とか、そういう甘い、楽しい、あるいはお目出度いもの限定なのです。

もちろん、こうおっしゃる方々の多くはアメリカやオーストラリア等の大学を卒業された方々だったりします。中にはMBAを取得されている方もいらっしゃいました。

日本人には英語に対してどこか違った意識を持っていて、それが広く深く浸透している。それが私の子ども時代から感じてきている率直な思いです。

日本のクリスマスが、本来のそれとまったく違ったものであるように、英語についても違った共通認識があると私は思います。

ビジネス英語についても同様。日々のe-mailであれ、説明書であれ、独特の間違った語感を持っている場合が多くあります。それは、日本の学校で教える英文法を社会生活で反映した場合、必ずしも英語として適正とは限らないということも含め。


【2.会社紹介におけるEngrish(創作)】
例えば、日本人によるこのような英語を例に挙げます。

At this XYZ company, our belief is that people, the knowledge and experience they
possess, support and enhance the foundation on which IT, i.e. the backbone of nowadays exists.

一読してよく分からない英文です。
こういった文章がさらに続くと、なかなか解読が大変です。

日本語側の気持ちとしては、以下の通りです:
わがXYZ社における理念は、人材および知識・経験により今日の中心的役割を担うITを支援し、発展させることにあります。

「これが学校で習った『正しい』英語なんだ。文句があるなら、文部科学省に言え」
という反論が出てくるかもしれません。

人を怒らせるために私は書いているわけではありません。日本側では良かれと思って書いたり、話したり、振る舞ったりすることが、英語側では意味不明だったり不愉快だったりする、という問題を申し上げたいまでです。(しかも、双方とも真意が分からないままであるということも含め。)

そのため日本側は「あいつら外人って、ホントに話が分かんねーんだよな。レスポンス悪ぃし、何なんだ、奴ら。空気読めねぇし」と内輪で愚痴るでしょうし、英語側は「また、支離滅裂なことをアレコレ変な英語で言ってきやがって。こいつら無礼なのか丁寧なのか分かりやしない」
と思うことでしょう。

私はその両者の立場に立って、お互いをつないでいけたら、と思ってきております。
自分の役目はそこにあるのか、と思っております。


【3.ビジネス文書・創作サンプル】
以下の例文も私の創作です。
こういったビジネス文書、ありがちなのではないでしょうか。

「いつもお世話になっております。
発注番号#0123についてですが、
プラスティックカバーを早期にお送りくださるようお願いいたします。
進捗について、ご連絡ください。
お待ちいたしております。
以上、宜しくお願いいたします。」

これを英語で書く場合、
下のように書いてしまう人、意外にいらっしゃるのではないでしょうか。

Thank you as usual.
Regarding PO#0123,
Please send me plastic covar soon.
Please reply. I am waiting.
Thank you.

以上の英語は、英語として実際どうなのか。この英文を意訳すると、こんな感じです。

「いつものようにありがとう。
発注番号#0123の件について、
プラスティックカバ早くこっちに送ってください。
答えてください。こっちは待っている。
ありがとう。」

かなりビミョーな英語です。このような日本語でメールを普段書いていたら、周囲から怒られるでしょう。

日本人は日本語でのメールや電話応対の際の日本語には非常に要求度が高いですが、英語に関しては相当改善の余地を残していると思います。


【4.原宿の雑貨店の英語】
さて、Engrish.comというインターネットのページがあります。日本や中国で見つけたあやしい英語(看板、注意書き、Tシャツ、商品パッケージ等)を投稿するページです。(www.engrish.com)

その中に、このような英文が投稿されていました。東京の原宿の雑貨店にあったものだそうです。


"GACHAPIN & MUKKU
Two people of the main character of the Japanese popularity TV program which is broadcasted for a dozens of years.
GACHAPIN and the MUKKU of the popular person that these is not the person whom I do not know among Japan.
What can buy in Harajuku only in here!
I am most suitable for a souvenir."

英語のネイティブで、この英語が理解できない人は多いかもしれません。
確かに英語としてデタラメです。

しかし、私は理解できます。私はポンキッキ(ポンキッキーズ)とかガチャピンとかムックを良く知っておりますし、日本人がどんな思いを心に描いてこのような間違った英語を書いたのかも理解できます。

ですので、私ならこのようなEngrishを以下のEnglishに翻訳することが出来ます。

==========私の解釈==========
"GACHAPIN & MUKKU are two popular icons among the Japanese. Everybody knows who they are. They have been on a popular kids' TV program for decades. You can buy this only here at Harajuku! This should be the best choice for your sourvenir."
===========================
これでしたら、意味が通じないということはないでしょう。
【5.WEB上のEngrish】
もう一つは、ネットで見つけた英語メッセージ。(無料ブログのテンプレートに記載したメッセージ)
"A human life is a story told by God.
Perhaps they are not the stars, but rather openings in Heaven where the love of our lost ones pours through and shines down to let us know they are happy."

これもEngrishの一典型かと思います。「何が何だか分からない文章」という英語ネイティブがいても不思議はありません。
反面、日本人ならこの内容がなんとなく理解できる、となる気もします。
問題は、日本人同士が、なんとなくその意味は分かっても、英語で正しく伝えられないということ。

その気持ちを日本語で言い換えたら、きっとこんなことを言いたいのだと思います。

『人生は神さま(←七夕の織姫・彦星のような)が織りなすストーリー:
それはきらめく星のようなものではないのかもしれない。むしろ、それは天の扉がひらき、失われた何かが降り注ぎ、輝きながら幸せを知らせるものなのでしょう』
(まだ、日本語でもよく分からないとは思いますが。)

日本人が英語を書いたり、Tシャツのメッセージを考案するとなると、
なぜかこういう独特・典型的なものに収束しがちです。
(その際のキーワード:「星」「きらめく」「希望」「夢」「叶える」「本当の自分」「自分の居場所」「ゆずれない思い」「誰かに伝えたい」「輝いている自分」「本当に大切なもの」等……)
しかも、日本人が英語で書くメッセージの多くは「雰囲気」重視で、意味はそんなに問わない。そんな気がします。(それを顕著に示すものが、Tシャツ・街の看板・グッズの表記等。)

ところで、英語ネイティブは上記のようには読み取らないでしょう。
ネイティブ(ないし非日本人)は、以下のような受け取り方をしがちかと思います。
=====ネイティブまたは非日本人の受け取り方(その1)=====
「ナニ??神様は万能で、すべてを支配するものである。だから、神様を敬え、ってか。そんなことが言いたいのか??Don't bother trying to research any crap about "God"!」

(↑統計的にいっても日本人の多くは、キリスト教的なバックグラウンドはないはずだし、あったとしても普通そういう言葉を連ねたりしないでしょう。)

=====ネイティブまたは非日本人の受け取り方(その2)=====
「"A human life..."の件(くだり)について。人間の人生は偶然に起こるものではなく、正しく設計されたものである。これらのすべては他でもない全能の神が支配しているのである。この全能の神(God)こそが、人間の生命の作者であり監督者である。
"Perhaps they are not the stars."の件(くだり)については、まだ人々が正しい天文学の知識を獲得していなかった古代ギリシャ哲学の時代における認識を思えば想像しやすい。地球は平らだと信じられていたり、あるいは、空にはドーム状の屋根が架かっていたり、と信じられていた。そういう認識の上でこの文章を書いた人は「それは星ではなく天が開くことなのかもしれない」と言っている。上を見上げて見える星は、輝く物体ではなく、それはドーム状の屋根に開いた穴である。穴があいているのには理由がある。この世を去っていった友人や親類が、その穴を通じて、天国から我々の元に訪れることができるのである。そこで、死者の魂は、生ける我々に『天国の観点では、すべてが善(よし)とされる』と告げに来るのだ。」
================================================
(↑このように、トンデモナイ方向に突き進まれ、間違った解釈をされたりもするでしょう。)

誤った英語認識と日本的なファッション感覚で書く英語(Engrish)は、あいまいだったり、英語として成立しなかったりします。
成立したとしても、別に意味として成立したり。あるいは、意味自体をなさなかったり。
それゆえに起こる誤解は結構あるかと思います。

ここでの原文は、単にオシャレ・ファッション感覚で書いた、意味を持たせることなど意図していないものだと私は受け取ります。感情的、夢想的、感覚的な描写でしょう。
(よって、私でしたら、[大文字のGで始まる]"God"は使わないで、少しでも日本人の感覚に近くするべく"Angels"に変えるよう相談させていただくかもしれません。)

上記英語メッセージは、残念ながら英語として疑問が多くあります。
たとえばthe love of our lost onesという文章。
「愛する家族が亡くなったのだろうか?」と読むほうは確実に受け取ります。

しかし、日本人からしたら「忘れかけた本当の自分(の魅力)」という意味です。
これは日本人のお約束フレーズ。(この辺、もう英語ネイティブには、わけが分からないでしょう。)

そこで、私でしたら、両言語のカルチャーを汲み取ったうえで、次のような英語に書き換えると思います。(事前に書いた人との意思合わせは必要ですが。)

==========私の解釈==========
"Angels will lead us the way:
Life is not like a star that is born to shine. It is more like a process of learning you are worth a star. Remember you have great potential. Knock on the door of heaven, and your great part once forgotten will appear to fulfill your spirit. You can be happy that way.”
==========================

【6.結論】
日本人の英語・英語観について「Engrishだ」「Japanese Engrishだ」「英語音痴だ」と、そんなふうに言うのは非常に簡単。
しかし、それを心で理解し、正しい英語に変換し、伝えられる人がどれだけいるか。

私は英語と日本語のバックグラウンドを持っております。そういう者として、私は特にビジネスの場で日本語と英語の文化の間に立って、両者の橋渡しとしてお役に立つことが可能かと思います。

日本人が考えていること、感じていることを英語で外国人にしっかり伝え、交流する。
グローバルとかインターナショナルとか、流行語のように頻繁に言われる今の時代でも、まだまだ実現できていない部分が多いかと思います。

書き言葉の英語であれ、話し言葉の英語であれ、言葉のギャップ、文化のギャップは本当に大きい、と私は思っております。

海外留学された日本人、海外の大学を卒業された日本人は多くいらっしゃいます。
しかし、適切な英語を書いたり、話したりする方はなかなかいらっしゃらないのではないでしょうか。

自分はたまたまIT、製造といった分野におりますが、そこで日本語と英語の文化を結ぶ架け橋として、そのお役に立つことが出来たなら、と、いつも考えております。