May 31, 2016

詩人・建築家・画家としての立原道造 (1914 - 1939)

立原道造という24歳で亡くなった詩人がおります。

青空文庫に出てくるぐらいだからずいぶん昔の方に違いないと思い、まずは手っ取り早くWikipediaで調べてみると、こういった文面から始まります。



立原 道造(たちはら みちぞう、1914年大正3年)7月30日 - 1939年昭和14年)3月29日)は、昭和初期に活動し24歳で急逝した詩人。また建築家としても足跡を残している。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%8E%9F%E9%81%93%E9%80%A0


青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)というウェブサイト内で自分は何の気なしに谷崎潤一郎の作品などを眺めていたのでしたが、 作家が「た」行であったためか、「谷崎」→「立原」というふうに、たまたま視線がシフトし、 それで彼の詩集を読むことになった次第です。

「優しき歌」という詩集の中の、以下に抜粋した部分が自分の目に留まったのでしたが、読んでいくうちに、自分の日本語解釈が合っているかどうか確かめるためにも、簡単に英訳してみることにしました。

英訳しながら、非常に印象的な詩風だと感心しました。淡い 絵画のようであり、また、はかない情景が目に浮かぶようです。 先のWikipediaによると、彼は大学工学部で建築学科を出ていると共に、詩やパステル画も残しています。彼のパステル画をウェブ検索してみると、確かに彼の詩風と合致します。
















また、「ヒアシンスハウス」という、彼が生前に構想した建築物があるのだそうで、彼の死から65年を経た2004年にその名も「ヒアシンスハウス」という建物がさいたま市の公園に竣工されたとのことです。


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IV 薄明

音楽がよくきこえる
だれも聞いてゐないのに
ちひさきフーガが 花のあひだを
草の葉のあひだを 染めてながれる


I can hear the music so well
Although nobody else hears it
A tiny fugue slips through between the flowers
And between the leaves while dying colors on them



窓をひらいて 窓にもたれればいい
土の上に影があるのを 眺めればいい
ああ 何もかも美しい! 私の身体の
外に 私を囲んで暖く香(かをり)よくにほふひと


You can only open the window and lean against it
You can only glance at the ground surface with the shadows
Ah, every one of these is beautiful! You are the one
Who surrounds my body to give me warmth and nice fragrance



私は ささやく おまへにまた一度
――はかなさよ ああ このひとときとともにとどまれ
うつろふものよ 美しさとともに滅びゆけ!


I whisper to you once again
-- You, a transient being, ah, let this moment freeze
Let theses changeable objects disappear with this beauty!



やまない音楽のなかなのに
小鳥も果実(このみ)も高い空で眠りに就き
影は長く 消えてしまふ――そして 別れる


Despite the music that keeps being played
Small birds and nuts have fallen asleep high up in the sky
Projecting long shadows until they disappear – and split up

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五月のミシガンは一年のうちで最もうつくしい季節ではないかとよく思います。今は午後九時ごろでも外は明るい。はかないほど見事に明るく静かに時間の過ぎゆく午後八時ごろなどは、立原道造の詩風に通ずるものがあるとさえ思うほどです。

















「はかなさよ ああ このひとときとともにとどまれ 
 うつろふものよ 美しさとともに滅びゆけ!」
という言葉がじつに正直な気持ちの吐露だと感じますし、そこから

「小鳥も果実(このみ)も高い空で眠りに就き  
 影は長く 消えてしまふ――そして 別れる」
と締めくくるあたりは、なかなか真実味があります。


















自分としては、3.11以降も親戚等で亡くなられた方々のことを思うにつけ、また、彼らの活躍していた夏の時代に思いを寄せるにつけ、上記の立原の詩から若者臭さを感じるとともに、宿命じみたうつくしさをも感じ取るわけですが、それを素直に認めるあたり、自分も年を取ってきたということかもしれません。

 

さて今月、自分は一週間ほど休暇でバハマ諸島に旅行に行ってきましたが、そこでの明るく強い陽射しやうつくしい海、露店や飲食店の居並びをあるいたり、水上タクシーに乗って島々を渡ったりしていても、感動と共に、その海の色にせよ、建物の鮮やかな色彩にせよ、照りつける陽の光にせよ、もったいないような気持ちすらも湧いてきます。

































バハマの首都ナッソーで土産品を買おうとした際、手っ取り早いのはStraw Marketと呼ばれるこの一帯。今回、私はチェス・セットを買いました。言い値の半額かそれ以下に値切って買うのが流儀だみたいなことを水上タクシーの船頭さんが言っておられました。確かに容易に半額に値切ることはできます。本来の値段はいくらだったか、謎といえば謎です。

削り方やサイズに不統一がみられる手作り感満点の作品ともいえる商品。
ピースは畳んだ台の中に収納し、手にもって運べます。
















また、自分は今月、誕生日を迎えることができました。当日はどうしようかと考えあぐねた挙句、この数年来行ったことのなかったステーキ専門店に出向き、そこで食事するを以って記念としたのでした。
















初夏の陽の光が緑色の葉っぱに降り注ぐ風景は、自分自身これまでいろんなところで何度となく見てきたはずなのに、いつの歳になっても初めて見るような感激が走るのは、自分が五月生まれだからではないか、と思ったりします。

不思議なことに、そんな初夏の風景が時折飛び火して、真夏の終戦記念日に思いが行くこともあります。しかもそれは決まって三島由紀夫のこのインタビュー音声で、こういったことを彼は言うわけです。

 『終戦の時わたくしは、終戦の詔勅を、親戚のうちで聞きました。
   (中略)
 そして戦争が済んだら、あるいは戦争が負けたら、
 この世界が崩壊するはずであるのに、
 まだ周りの木々が濃い夏の光を浴びている。
 ことにそれは普通の家庭の中で見たのでありますから、
 周りに家族の顔もあり、周りに普通のちゃぶ台もあり日常生活がある。
 それが実に不思議でならなかったのであります。』


立原道造のように詩的な話でもあり、ゾッとするほど真実味を伴った感覚でもある、という思いを巡らせた次第です。